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海無し県の山々に囲まれた秩父が海だった?「古代の秩父湾」という太古のロマンへ妄想ダイブに行ってみた

2018/08/06
海無し県の埼玉県は東京都と隣接しているので、山々に囲まれているイメージは無いかもしれません。
 
秩父へ向かう西武鉄道秩父線に乗ったことがあれば、都心に隣接しているとは思えない、山岳鉄道のような風景に驚いた経験があるのではないでしょうか。
 
 
▲アニメの背景に描かれる「羊山公園見晴らしの丘から見る秩父盆地」
 
最近ではアニメの聖地として、メディアに取り上げられることも多くなりましたが、深い山々に囲まれた盆地にある秩父は、「山のイメージ」が強く、太古の昔の話とはいえ、海だったなんて信じられないでしょう。
 
まさに「ウソのような本当の話」ですが、秩父盆地を端から端まで、マニアックな思考で「古代の秩父湾」へ妄想ダイブしながら巡ります。

海だった「古代の秩父湾」はなぜ消えてしまったのか?

 
▲田中健太氏撮影(秩父盆地の雲海)
 
秩父地域の地層調査により、約3億年前の日本列島は海の底だったことがわかりました。
 
秩父のシンボルとされる武甲山は、石灰が採掘されていることで知られていますが、海中生物の遺骸(いがい)が海底に堆積してできた山です。
 
日本列島が陸地として現れるまでは、海底火山噴火や地殻変動などがあったと言われています。
 

▲約1700万年前の秩父湾のイメージ

 

気候変動により寒冷期と温暖期を繰り返しているうちに、強い寒冷期に海岸線が後退して陸地が広がっていきました。

時期は定かではありませんが、秩父も含めて東京湾も陸地になり、再び海の中へ沈んだとされています。

 

「古代の秩父湾」は約1700万年前に、現在の秩父盆地の西側(小鹿野町)まで、海が広がっていたと言われています。

秩父盆地内で見られる地層から、約1億年前~1700万年前までの間に時間的な連続が認められず、「地層の空白期間」があることから「不整合」という言葉が使われています。

 

「不整合」の地層は、皆野町や小鹿野町で見ることができます。

 

▲約1500万年前の秩父湾のイメージ

 

約1500万年前、秩父湾の東側が隆起して、「古代の秩父湾」は消滅してしまったようです。隆起した地域が、現在の秩父盆地の原型になったと言われています。

 

約100万年前、現在の埼玉県秩父と東京都奥多摩地域だけが、海面へ隆起して「秩父島」になったようです。秩父島の入り江は、北端に位置する長瀞町が入り江の入口となり、東端の横瀬町から西端の小鹿野町までの地域に広がっていたようです。

 

島全体が次第に隆起すると、入り江の海面が後退して、海底だった秩父盆地が陸地になりました。

 

約10万年前、陸地に海が侵入してきましたが、約7万年前には海が後退していきました。現在の関東平野の周りにある、「箱根山・富士山・浅間山・赤城山」などの火山活動が活発になり、たくさんの火山灰が降り注ぎました。

 

積もった火山灰が、現在の武蔵野台地などの関東ローム層と呼ばれるモノになります。

なぜ秩父が海だったことがわかったのか?

 
▲出展:西武鉄道株式会社 太古の秩父湾スポット 長瀞岩畳(長瀞町)のイメージ
 
長瀞の岩畳は、海底に堆積した砂や泥、火山灰などが結晶片岩となって隆起し、川の浸食によって形成された自然岩石です。奇岩に富んだ岩石群が段丘をつくり、荒川沿いに800mほど続いています。
 
岩場より高い場所にある「川沿いの遊歩道」から見ると、畳のように広がって観える長瀞を代表する景勝地です。
 

 

ちょっと硬い話ばかりになってしまい、頭を柔らかくするために、長瀞町にある「埼玉県立自然の博物館」へ立ち寄ります。

 

 
 
館内には、埼玉県深谷市で発見された巨大ザメ「カルカロドン メガロドン」模型のほかに、秩父地域で発見された「パレオパラドキシア」の全身骨格復元や、小鹿野町で発見された「オガノヒゲクジラ」の頭骨化石などが展示されています。
 
 
▲約2憶5000万年前の海の想像図

「古代の秩父湾」には、ウミユリが棲み、クジラやサメの先祖たちが泳いでいたのかもしれませんね。
 

秩父に残るありのままのジオパーク

 
 
 
「埼玉県立自然の博物館」前から、荒川に向かって遊歩道が整備されています。
 
 
 
 
長瀞の岩畳へ向かって、ライン下りで知られる全長約4kmの長瀞渓谷には、「川沿いの遊歩道」が整備されていて、所々で川辺に降りることができます。
 
日本地質学発祥の地になっている秩父は、ジオパークに認定されています。
ジオパークとは、「地球・大地(ジオ:Geo)」と「公園(パーク:Park)」を組み合わせた言葉で、ありのままの自然から地球(ジオ)を学ぶことができる場所を指します。
 
 
 
 
長瀞渓谷の特徴として、折り重なるようにゴツゴツした岩場に、下流に向かって大きな岩のドミノ倒しのように、倒れて重なっている風景が広がります。
 
岩場の中には、トラの毛皮の模様に似ている、幅15m ほどの結晶片岩の「虎岩」と呼ばれている岩があります。
 
 
 
 
荒川の反対側が急斜面になっている遊歩道には、道標が無い分岐点がいくつかあり、5mほど下に降りと川辺に出られるようになっています。
 
テーブル状になった大きな岩を見つけ、岩の上に立って川幅が狭くなる、急流ポイントをボーっと眺めていると・・・
 
 
 
 
歓声や悲鳴ともにラフティングボートがやってきました。
 
川幅が狭くなる分だけ川の流れが速くなり、ラフティングボートの醍醐味を感じられるポイントになっているようですね。
 
 
 
 
急流ポイントを過ぎると視界が開けて、「虎岩」より大規模な岩場が広がった場所になり、岩畳の上流端の到着したようです。
 
線を低くして見ると、岩でできた「グランドキャニオン」のミニチュア版のように見えます。
 
 
 
 
「長瀞の岩畳」は、地下20~30kmで形成された結晶片岩が隆起して、畳のように広がったモノと言われています。写真の中央右下に写っている丸い穴は、「ポットホール」です。
 

ポットホールは、急流の川底にある岩石の柔らかい部分に小さい凹ができると、くぼみに流れて来た小石が、長い時間をかけて転がってできた穴です。
 
 
▲長瀞ラインくだり船着き場
 
「古代の秩父湾」の入口に位置していた、長瀞渓谷や絶壁になっている岩畳を見ていると、大自然のエネルギーや、気の遠くなるような時間の流れを感じずにはいられません。
 
ポットホールが数カ所あるので、足元に気を付けて、崖から落ちないように探してみてはいかがでしょうか。
 
荒々しい大自然のパワーを感じる長瀞を離れ、湾内の奥へ移動します。
 

「古代の秩父湾」の奥はどこまで広がっていたのか?

 
▲出展:西武鉄道株式会社 太古の秩父湾スポット ようばけ(小鹿野町)のイメージ
 
「古代の秩父湾」の入口に位置していた長瀞町を離れ、湾の西奥に位置していた「ようばけ(小鹿野町)」で情報を集めるために、「おがの化石館」にやってきました。
 

 

「おがの化石館」周辺の地層からは、多くの化石が出土されていて、「パレオパラドキシア」の骨格標本模型、新種と認められた「チチブサワラ」の化石と標本など展示されています。

 

 
パレオパラドキシアは「世界の奇獣」と言われていて、約1500万年前の海辺に生息していた謎の海獣です。
 
パッと見ではカバに似ていますが、現生の動物との関係が認められず、先祖にも子孫にもわからない不思議な動物とされています。
 
 
 
 
 
「おがの化石館」の2Fからは、「ようばけ」と呼ばれる崖が見えます。
 
赤平川の右岸に、高さ100m、幅400mに及ぶ大露頭(だいろとう:地層が露出している場所)があります。
 
 
 
 
赤平川両岸の河原には、大きくゴツボツとした岩が、あちらこちらに転がっています。
 

「ようばけ」とは、「陽の当たる(よう)崖(ばけ)」という意味から、「ようばけ」と呼ばれるようになりました。
 
「古代の秩父湾」が浅い海だったときに、泥が堆積して形成されたもので、この地層からは多くの生物の化石が発見されています。約1500万年前に堆積(たいせき)したと言われた地層からは、クジラやサメ、貝類などの化石が発見されました。
 
「ようばけ」と同じ地層が、分布する近くの般若地域から、「パレオパラドキシア」の化石が発見されました。
 
 
 
 
現在でも、崩れやすくなっている崖の対岸には、自動車ほどの大きさもある岩が、川を飛び越えている様子が容易に想像できます。細心の注意を払って、河原に降りましょう。
※崖崩れの危険があるため、対岸の崖側へ渡ることは禁止されています。
 
「古代の秩父湾」の西奥に位置する小鹿野町から、秩父盆地を横断して、「終焉の地」を目指します。
 

「古代の秩父湾」終焉の地!実際に行ってからこそ感じた古代のロマンとは?

 
 
 
小鹿野町とは、秩父盆地を挟んだ反対側の東奥に位置する、横瀬町には「古代の秩父湾」終焉の地を示す地層があります。
 
 
 
 
「新田橋の礫岩露頭(れきがんろとう)」は、横瀬町歴史民俗資料館の裏側にある「ウオーターパークシラヤマ」内で、間近に見ることができます。
 
 
 
 
「古代の秩父湾」終焉を示す特徴の、角のとがった角礫岩が観察できる代表的な露頭です。
前述の「長瀞の岩畳」「ようばけ」のほか、秩父盆地に点在する「前原の不整合」「犬木の不整合」「取方の大露頭」「大野原化石産地」の6カ所の露頭は、国の天然記念物に指定されています。
 
グレーの岩場や茶褐色の地層ばかりで、決して見映えがする景色ではありませんが、それぞれの地層は長い年月をかけて自然が作り出した模様だと思うと、感慨深いものがあります。

※地層を見るには、足場の悪い川沿いの場所があるので、滑りにくい靴が必須です。
 

▲寺坂棚田

 

「新田橋の礫岩露頭」の近くには、「寺坂棚田」があります。秩父のシンボルとされる、武甲山を眺めたくなったので足を伸ばしてみました。

 

太古のロマンに妄想ダイブをしながら、秩父盆地を縦横無尽に巡っているうちに、興味深い別のテーマに辿り着きました。海のことばかり考えていたのですが、秩父湾の周りには、今とほとんど変わらない山々の風景があったのではないでしょうか。

 

人間と比べればあまりにも存在が大きすぎる武甲山は、「古代の秩父湾」が存在していた時にも、同じ場所にあったとしても不思議なことではありませんね。

 

▲セメント工場群越しの武甲山

 

武甲山の地層を知ることで、石灰岩や化石ができまでの長い時間を考えた時に、ある妄想が湧きだし始めます。

武甲山の石灰岩は、海の中のサンゴ礁からできた石灰岩だとわかります。

 

サンゴは海の浅い場所じゃないないと生育しない習性があるので、南洋の暖かい海の海底深いプレートにあったのではないでしょうか。

日本列島の周囲には、いくつのも大陸プレートがあり、サンゴ礁からできた石灰岩のメカニズムを知れば知るほど、興味深いことがわかります。

 

ひとつの旅の終わりに、次の旅のテーマが見つかり、もっと秩父のことが知りたくなりました。いつまで経っても止められない、旅って素敵ですよね。

 

 

☆今回紹介した公式HPはこちらから☆

 

 

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この記事を書いた人

ライター MAKIJI

マニアックな旅行ライター。ジブリアニメが好きすぎてトトロの森のある街で「観光コンシェルジュ」として活動中。見過ごしがちでマニアックなスポットや、都市伝説のある場所を彷徨って、妄想しながら「ひとりっぷ」している。